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レポート 国会関係 マリフォー国会

2019.12.17

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【連載】「マリフォー国会 – 同性婚を伝えよう」⑧訴訟原告リレートーク(1)

ここから、「結婚の自由をすべての人に」訴訟を戦っている全国各地の原告たちが院内集会で改めて訴えた切実な声をお伝えします。スペースの都合上、順番を入れ換えた箇所があります。

大江千束さん(「結婚の自由をすべての人に」東京訴訟 原告) 

東京訴訟原告 大江千束さん

私どもは四半世紀にわたってさまざまなLGBTの活動を行ってきました。発言する機会もほかの人たちより多かったのではないかと思います。その私たちですら、この裁判の原告になるということは覚悟が必要で、人生をかけて原告になりました。

私たちの活動のひとつに同性パートナーシップネットという、同性パートナーの法的保障を求める活動があります。発足当時は同性婚と銘打つのはとてもハードルが高かったわけです。ですから今日、ここで声高に「同性婚を求める」と言えることは私にとって感無量です。

もう還暦近い私ですけれども、最後の活動と思って、原告として進んでいきます。 

小川葉子さん(「結婚の自由をすべての人に」東京訴訟 原告) 

東京訴訟原告 小川葉子さん

私たち、赤いTシャツを着ています。これは私たちがなんとしても同性婚を認めてもらいたいという情熱と、怒りの赤です。私は非常に怒っています。なぜいつまでも同性婚が認められないのか。海外ではとっくに結婚している方々がいらっしゃいます。なのにどうして、この国ではだめなのか。

先ほど、憲法上、同性婚は禁止されていない、むしろ認められるべきだという話がありました。結婚を求める方、大勢います。私自身はこれまで、そんなに結婚にこだわるほうではありませんでした。でも、多くの仲間が求めることは、私も同じように求めていきたいと思っています。

一日も早い立法をお願いいたします。 


小野春さん(「結婚の自由をすべての人に」東京訴訟 原告)

東京訴訟原告 小川葉子さん

※パートナーの西川麻実さんは仕事で欠席

私とパートナーの西川はかつて男性と結婚して子どもを持ちました。ひとり親同士だった私と西川が出会い、15年近く、共に3人の子どもを育てております。暮らしはじめた当時は全員、保育園生だった子どもたちは現在、高校生と大学生になりました。お父さんお母さんのいる家庭と同じように辛いときも楽しいときもあり、共に泣いたり笑ったりしながら、日々暮らしてまいりました。共働きで家事をこなし、子どもの話を聞いたり、子どもの部活に熱くなったり、それはいかにも普通の家庭だったと思います。

しかし、この家庭には法律的な保障がありません。それがちょっと、普通の家族と違うところだったと思います。私たちは子どもが不利益をこうむらないように会社の人やママ友、子どものクラスの友達にお母さんがふたりだということをなかなか明らかにしづらかったです。そのため、家庭内で楽しい週末を過ごしたときやお祝い事があったときなど、素直に周囲の人に言いづらい。そうした寂しさを抱えてきた家族でした。

また、子どもが中学生になった3年前、私は乳ガンを患いました。働けなくなって収入がなく、こういうときのために結婚している夫婦には扶養という制度があるのだなと気づきました。しかし、私たちは健康を害して経済的な不安があっても、お互いの扶養に入ることができません。そこに経済的な不平等があるのです。

そして、乳ガンが再発して、私が死亡してしまったら、未成年の子どもを残していく場合、子どもの親権はどうなるのかと心配で、今もいてもたってもいられません。私の子どもの親権を西川に渡すにはどうしたらいいのでしょう。婚姻制度がないがゆえの悩みは尽きず、闘病以外の部分でこれほど悩まなければいけないということに理不尽さを感じています。どうぞ先生方にこの問題を解決していただきたいと思っています。お力を貸してください。よろしくお願いします。


佐藤郁夫さん(「結婚の自由をすべての人に」東京訴訟 原告)

僕のパートナーは“よし”と言いますが、家族と会社にカミングアウトしていません。メディアに出るときは私ひとりなんですが、普段の生活ではほとんどいつもいっしょに生活をしているので、どちらかがひとりでどこかに行くと、「よしさんは今日どうしたの?」、よしがひとりで行くと「今日は郁さんはどうしたの?と」言われるような、16年もいっしょに住んでいますし、17年めに入ったんですが、仲のいい関係です。

僕は今年、還暦を迎えました。若い頃から糖尿病を持っていましたし、1997年にHIVに感染しました。2009年からは人工透析をしています。ということで、かなり健康に問題があるんですけれど、長くふたりで生きていきたいなと思っています。ただ、もしも僕がこの世を去る日がきたときに、婚姻制度がなく、ふたりが結婚していないと、最期の場面にいっしょにいられないかもしれないという思いが今回、原告になるにあたって最初に思った気持ちです。

僕の好きな歌手に普天間かおりさんという沖縄の人がいて、おじいがなくなるときにおばあが病室に来るまで待っていて手を握ってあの世に旅立っていったという、『掴めないもの』という歌があるんですが、その曲を聞いたときに僕は号泣したんですけれど、僕とよしもそういう関係でありたいと思いますし、法が後押ししてくれたらいいなぁと思っています。元気で生きている間は、セクシュアル・マイノリティでもなんとかやっていけます。でも、最期の場面で離ればなれになることだけは、させてほしくないです。

 

text:萩原まみ photo:谷山廣


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